Room of The SCENE

コチラのページでは、心に深く残った光景、非日常の情景、美しい風景、などを、写真とともにご紹介していこうと思います。まずは、我が岐阜県にある「神岡鉱山栃洞地区」に残された、廃墟をとりあげてみました。
この廃墟は、人を寄せ付けぬような奥深い山のなかにあるのですが、規模は巨大です。ひっそりと佇む朽ちた建物や坑道に足を踏み入れると、まるで別の時空に迷い込んだような錯覚にとらわれます。
錆び付いた鉄骨、穿たれたコンクリート、草木に覆われていく民家。それらは、人の心に、郷愁とも悲哀ともつかぬ感情を呼び起こし、不思議な胸の高鳴りを覚えます。
そんな思いが、少しでも伝わればさいわいです。

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神岡鉱山栃洞地区 - 廃墟 -

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◆高度経済成長期の遺跡 --------------------

岐阜県飛騨市神岡町。山深い岐阜県北部に位置するこの街には、かつて隆盛を極めた『三井金属神岡鉱山』がある。昭和三十年代、鉱山華やかなりし頃は、この山間の街に、全国から鉱夫となる労働者が集まり、活況を呈したという。
しかし、昭和四十年代、五十年代に至ると、日本の各地に点在する金属鉱山は閉鎖の憂き目にあい、ここ神岡鉱山も、主要坑の休止を余儀なくされるに至った。

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◆孤高の廃虚 ------------------------------

この神岡には、栃洞(とちぼら)と呼ばれる地区がある。栃洞には「栃洞坑」と呼ばれる鉱区と、そこで働く鉱夫たちの住居があった。が、現在では住む者もなく、集落は廃虚と化しているという。
栃 洞に行くには、ただでさえ山あいにある神岡町から、さらに、曲がりくねった細く急な坂道を登らねばならない。道も荒れており、おいそれといける場所ではな い。しかし、この、俗世と隔絶されたといっていい場所だからこそ、廃虚が似つかわしいともいえる。もし、この栃洞が、今よりずっと人里に近い場所であった なら、ひどく俗っぽい場所になってしまっていたかもしれない。だが、遥かな山の高みに位置しているからこそ、栃洞は、孤高の廃虚となりえたのだ。

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◆無音の風景 --------------------------------

栃洞の光景は、昭和三十年代を彷佛とさせる。電柱は木製、点在する建物も、懐かしい趣だ。ときには、鉄筋コンクリートの頑丈な建物の姿も目にする。
集落を形成してはいるが、人の気配はなく、まったく音もしない。いまや、この土地にとって、人間こそが闖入者なのだ。
坑 道へと続く駅舎のような建物には、レールが敷かれている。錆び付いたその軌道上には、トロッコや軌道車が置き去りにされている。トロッコや貨車のうえに は、何かの機械が縛り付けられたままだ。まるで、昼休みかなにかで、ほんの一時、鉱夫たちがその場を立ち去ったあいだに、数十年が過ぎたような感さえあ る。

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◆深淵へ ------------------------------

レールにそって、さらに建物の奥に進む。が、やがて、天井が完全に崩壊し、散らばった廃材が行く手を阻んでいる箇所に行き当た る。どうやら、冬場に降るおびただしい雪の重みに、屋根が耐えかねて抜け落ちたらしい。自然は、朽ちてゆく建物に、さまざまな鞭をふるっているのだ。
一見すると、先に行くのは無理とも思えるが、足場を慎重に確認しながら歩を進めると、急峻な山の斜面に、各種の施設が点在する場所に辿り着く。

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◆無秩序という魅力 -----------------------

錆び付き、埃の積もった階段を降りると、無骨なシルエットを持つ巨大な機械の群れが眼下に見えてくる。
これらの機械を収めている施設の屋根も、雪によって、部分的に抜け落ちていて、ときおり柔らかな日射しが、室内に差し込んでくる。
居並ぶ機械の脇を抜け、室内の隅にあるドアを開けて外に出ると、ケーブルカーの軌道とおぼしきコンクリートの斜路に行き当たる。その向こう側に、崩れかけた建物の鎮座している。これが、選鉱場と思われる。
私の勝手な推測だが、この選鉱場は、鉱山の発展に合わせ、増築を繰り返したのではないか。建物の内部には、至る所に階段が伸び、狭い通路や、極端に天井の低い場所もある。はじめから企図された施設なら、このような非合理的な構造にはならなかったであろう。
だが、この無秩序さが、大きな魅力だ。施設が山の斜面にへばりつくように建っているということも、その魅力の一因だ。内部に高低差という変化が生みだされているからだ。この通路の先に…、この階段の先に…、いったいなにがあるのか。そんな心踊る気分にさせられるのだ。
また、施設内に放置されている機器にも目を見張る。レトロなメーターや、巨大なスイッチ、碍子など、見目麗しいオブジェクトに溢れている。瓦礫とメーターは、じつによく似合う。

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◆静止した時間のなかで ----------------------

廃虚のなかでは、俗世とは切り離された、別の時間が流れているようだ。染みの浮き出たコンクリート、巨大な機械を覆う錆、風雨にまかせ崩れる柱や梁、すべてが、人の営みとは掛け離れた時を刻んでいる。
草木はところかまわず野方図に伸び、人間が築いたあらゆるものを絡め取り、自然のなかに引き戻そうとしている。やがて、なにもかもが、緑のなかに沈んでしまうのだろう。
廃虚は、消滅への緩慢な道程にある、文明の姿を映したオブジェだ。
「朽ちる」ということは、人にとっても、文明にとっても、抗うことのできないさだめであり、ゆえに、人は、朽ち行くものに、特別な感情を抱くのかもしれない。

 

Close Up !

◇ 飛騨市神岡町とは…

岐阜県飛騨市神岡町(旧岐阜県吉城郡神岡町)は、昭和30年台頃までは、鉱山の街として、たいへんな賑わいを見せたといいます。その繁栄ぶりは、同じ岐阜県飛騨地方にある、わが街、飛騨高山をはるかに凌いでいたといいます。また、映画館などの娯楽施設も多くあり、最盛期には、美空ひばりさんを呼んで盛大に公演を行う、などといったこともあったそうです。

◇ 各地区に残る廃墟群

このページで、今回ご紹介したのは、栃洞地区の廃墟でしたが、神岡鉱山には、ほかにも、茂住という地区に、廃墟が残っているといいます。私は、茂住地区には行ったことがないのですが、こちらも、栃洞同様、廃墟を愛好する人たちにとっては、とても有名だとのことです。

◇ スーパーカミオカンデ

鉱山を中心とした神岡町の繁栄は、すでに過去のものとなりましたが、いま、この街には、世界の注目を集めるものがあります。東大の素粒子研究施設「スーパーカミオカンデ」が、それです。この施設は、ノーベル賞受賞学者である「小柴昌俊教授」の指導により建設されたもので、宇宙より降り注ぐ素粒子「ニュートリノ」を、巨大な水槽に入れた水 (純水) の微細な発光現象によって検知する、というものです。
その規模は、ビル一棟分にも相当する巨大さで、また、鉱山を利用して作られているため、地下1000メートルという、外界とは隔絶された地点に作られています。
私も、イラスト制作のため、この施設を取材させていただいたのですが、その巨大さには圧倒されました、

◇ 有峰湖

ディスビ回り

また、神岡町の北部には、有峰湖という湖と、自然公園があります。現在は、きちんと舗装された有料道路を通ってこの湖に行くことになりますが、ほんの数年前までは、有峰林道というルートも通ることができました。この有峰林道は舗装もされていない、いわば酷道で、かなりの覚悟がないと通れない道でした。

 

To be continued

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